ホワイトエレファントになるだろう新国立競技場計画を破棄し
シンプルなで質素なものに。
神宮の青空と銀杏並木の風景を活かせる計画に!!


2020年のオリンピックは2013年9月、東京に決まってしまいました。
当初、招致のために猪瀬都知事は「1964年の東京オリンピックの遺産を有効利用し、
世界一エコで安上がりなオリンピックにする」と発言していました。
ところがなぜか、昨2012年に新しい国立競技場のデザインコンクールが
行われていたのです。
主催者は独立行政法人・日本スポーツ振興センター、審査委員長は安藤忠雄氏。
最優秀に選ばれたのはイラク出身・ロンドン在住のザハ・ハディド氏。
まるでUFOのような形の巨大なものです。自転車競技のヘルメットという人もいます。
11万平米の土地に29万平米の広さの競技場を建てるこの計画、
予算の1300億では出来そうにありません。3000億とも噂されています。*

しかも70メートル(マンションでいうと20階建て以上)のため、
東京都の都市計画審議会は日本で最初の風致地区、神宮外苑の高さ規制を
20メートルから75メートルへとまともな論議もないままに緩和してしまいました。
このままいくと、神宮外苑のあの美しい銀杏並木、重要文化財の聖徳絵画館の左後ろに、
この巨大な競技場が建ってしまいます。そんなこと認めるわけにはいきません。
そうしたらきっとたくさんの木が切られるでしょう。
そうしたら霞ヶ丘都営アパートの住民も二度目の移転を迫られます。
コンクールの粗雑さ、デザインや防災面での不安については
建築家たちも異論を唱えています。
わたしたちは市民の目線から、この新国立競技場計画を考えたいのです。
巨大な建物を造っても需要がなければそれは子孫への巨大なお荷物です。
たくさんの都民、国民がこの問題に興味を持って、東京の空を
もうこれ以上狭くしないこと、東京一極集中をこれ以上進めないようにしませんか?
国民の税金でつくられるのですから。
そう考えて「神宮外苑と国立競技場を未来へてわたす会」をつくりました。

わたしたちは1964年の歴史ある思い出のあるスタジアムを
直して使うことを提案します。


共同代表

2015年10月1日以降、共同代表は以下の8名です

神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会 共同代表

大橋智子(大橋智子建築事務所)

上村千寿子(景観と住環境を考える全国ネットワーク)

酒井美和子(デザイナー・まちまち net)

清水伸子(一般社団法人グローバルコーディネーター)

多田君枝(『コンフォルト』編集長)

多児貞子(たても 応援団)

日置圭子(地域文化企画コーディネーター・粋まち代表)

森まゆみ(作家・谷根千工房)






共同代表

2013年10月1日

神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会 共同代表

大橋智子(大橋智子建築事務所)

上村千寿子(景観と住環境を考える全国ネットワーク)

酒井美和子(デザイナー・まちまち net)

清水伸子(一般社団法人グローバルコーディネーター)

多田君枝(『コンフォルト』編集長)

多児貞子(たても 応援団)

日置圭子(地域文化企画コーディネーター・粋まち代表)

森桜(アートコーディネーター・森オフィス代表)

森まゆみ(作家・谷根千工房)

山本玲子(全国町並み保存連盟)

吉見千晶(住宅遺産トラスト)

共同代表からのメッセージ

共同代表 森まゆみ(作家・谷根千工房)



わたしたちは「いちばん」をのぞまない


「世界最高のキャパシティ」
「世界最高のホスピタリティ」
(以下、かっこ内はJSCのコンクールのメッセージより)

そんなものが何になるのか、この放射能汚染にふるえる日本で。
いまもふるさとを追われさまよう15万人を置き去りにして。
仮設住宅で冬の訪れを待つ無口な人びとの前で。

「この国に世界の中心を作ろう」
「スポーツと文化の力で」
「世界で「いちばん」のものをつくろう」

私達が東京に欲しいのは「いちばん」の競技場ではない
神宮外苑の銀杏をすかして降り注ぐ柔らかな光だ。
その向こうの伸びやかな空だ。
休みの日に子どもと一緒にあそべる自転車練習場だ。

1964年、アジアで初めてのオリンピックが東京で開かれた。
それは戦争に負け320万人が死んだ日本、その復興を示すイベントだった。
植民地支配を脱したアジア・アフリカの参加国、その民族衣装の誇らしさ。
「世界史にその名を刻む」のなら、この競技場を残すべきだ。
灯火台をつくった日本の誇る職人技とともに。アベベや円谷の記憶とともに。

ベルリンでは1936年のナチス政権下のオリンピックスタジアムを今も使う。
それは同じ過ちを繰り返さないことを己が記憶に問うモニュメントでもある。
22年後、1958年築の国立競技場を残す道がないわけはない。
いまこそ「もったいない」の日本を世界につたえよう。

人口減、資源の枯渇、非正規雇用、食料自給率、そこから目をそらして
「世界一楽しい場所」なんてできるのか?
”パンとサーカス”に浮かれたローマ帝国末期のようではないか。

わたしたちは「いちばん」をのぞまない。
子どもの時代に、健やかな地球が存続していることを願う。
「世界一楽しい場所」は私たちの近所につくりたい。

風と木と匂いのある町を。路地や居酒屋のある町を。
赤ちゃん、子ども、お年寄りを見守る町を。
若者が自由に仕事を作り、みんなで応援できる町を。
お金がなくても、助け合って暮らせる町を。
あたたかく、風通しのいい、つつましい町を。


2020年、縮小時代に舵を切るオリンピックに。

共同代表 森 桜(アートコーディネーター・森オフィス代表)



大阪中央郵便局や京都会館など、建物の保存運動にかかわるなかで、
つくづく、「建物がなくなると記憶も一緒に消えてしまうんだなぁ…」と痛感しています。
国立競技場でも、新しい建物をつくるのではなく、
いまあるものを手直しして使い続けられたら、どんなにいいだろうと思います。
1964年、東京五輪の開会式、この場所に70,000人を超える人たちが集まりました。
そして、その後も、多くのアスリートたちがこの場所を聖地と呼び、
ここに立つことを夢見てきました。
そうした場所とそこに宿る大切な記憶を失いたくないのです。
私たちが歩んできた半世紀にわたる時代にどんな光と影があったのか、
東京で2度めの五輪だからこそ、いまある競技場をうまく改修してその記憶を受け継ぐさまを、
世界に見せて伝えたい。
そして、記憶のバトンを次の世代へ手わたしたいのです。

共同代表 多児貞子(たてもの応援団)

1964年の東京オリンピックは高校を卒業した年で、
アベベの力走や東洋の魔女の活躍に歓喜したものです。
2020年も招致が決まった以上は成功して欲しいと願っています。
ただ、原発事故も収束していないし、東日本大震災の復興も遅々としている状況では、
辛い日々を過ごしている方々に寄り添う気持ちを忘れてはいけないと思う。
ある国ではオリンピック後、経済が破たんし、若者は職がないため海外に出稼ぎに・・・
ということを報道で知りました。
他の国では巨大施設も使われずに荒れ放題ということもききます。
未来を担う若者にツケを残さない、
コンパクトなオリンピック2020を成功させるためには、
今ある国立競技場を改修していただきたい。日本が誇る高い技術力での改修を夢見ています。

共同代表 大橋智子(大橋智子建築事務所)

改めて、国立競技場をじっくり眺めて見ました。
55年経っていますが、決して古めかしくもないし、
時代遅れでもありません。
むしろ力強くて、繊細なデザインに新しさすら感じました。
物心ついた頃からずっとあの場所にあって、
いつも外から見ていましたが、機会があって中に入った時、
グラウンドは眩しく輝いていて、観客席は空に広がってゆくようで感動したことを覚えています。
私たちが、未来のこどもたちに手わたすのは、この美しい景観を手放して作る巨大な競技場ではなく、
今ある施設を生かして生まれ変わった国立競技場と
これまで守ってきた神宮外苑の森でありたいと思います。

共同代表 多田君枝(『コンフォルト』編集長)

未来の私たちは、道路が縦横無尽に空中を走る人工的な都市で、機械やロボットに取り囲まれて暮らすようになる。高度経済成長期、雑誌にもお正月の新聞にも、そんな絵が描かれていました。子どもだった自分にとって、それはわくわくするような夢でした。
でも大人になるにつれて気付いたのです。開発の一方で失われてしまう尊いものがあるのだと。新しいものだらけの未来図が叶うことが必ずしも幸せな道ではないのだと。

なのに、まだその夢を捨てきれずにいるような今回の計画には驚きました。リアルな人間の気持ちや現場の感覚よりも、抽象的なイメージやコンセプトが優先されていることに違和感を抱きました。

日本には世界に誇る建築文化があります。それはそれぞれの土地で長い時間をかけて改良され、洗練され、極められてきた先人たちの知恵や情熱の結晶です。それは大切にするべきものだと思います。ですが、この数十年、スクラップ&ビルドを繰り返すことで、私たちはそんな財産をたくさん失ってきました。お金に換えられない宝物を経済性の名の下に葬っていきました。

そろそろ方向転換する時期です。オリンピックはそのよい機会です。現在の競技場を改修し、過去を残しつつも新たに蘇らせる。21世紀、そんなやり方にこそ、私は未来を感じます。

共同代表 上村千寿子(景観と住環境を考える全国ネットワーク)

イギリスには一定規模以上の開発計画、建築などについて、住民から意見がでればそれを協議調整する制度がある。計画が出たら、住民は専門家のアドバイスを受け意見書を提出すればよい。必要なら公聴会も開かれるし、この手続きが終わらなければ建設許可は出ないと聞く。これは公的な計画でも民間の計画でも変わらない。
日本ではどうだろう。
計画が出た段階で意見を言ったとしてもそれを受けて手続きの中で協議する仕組みはないから「市民運動」という手続き外の方法で世論やマスコミ、政治にアピールするしかない。また、裁判では、原告の範囲が狭いこと、行政訴訟の対象が狭いこと、行政の広範な裁量が認められていることなどの問題があり、
違法な行政の行為があったとしても、ほとんど裁判所による救済が期待できない。
新国立競技場の異様なまでの大きさと、市民が慣れ親しんだ風景を無視した姿を見ると、日本では住民が街づくりに参加する仕組みはまだまだ限られていることを改めて感じる。
オリンピックとはいったいなんなのか。終わったときにどんな日本がそこにあるのか。
私たちの世代の責任がとても重いものに思える。

共同代表 日置圭子(地域文化企画コーディネーター・粋まち代表)

二度目の東京オリンピックは、私たち日本人の歴史にまた一つ誇らしい記憶を刻むことが出来るはずです。その歴史の記憶は、決して「取り返しのつかない後悔の記憶」となるものであってはなりません。
ここまでの経済成長を達成した国が人口減少社会を迎える中、後世に負担をかけることなく、敬意をもって後々まで評価される、真の意味での先駆的なオリンピックを成し遂げる。
それは決して、神宮外苑の広い空と美しい銀杏並木、重要文化財の聖徳絵画館の左後ろに、贅を尽くした巨大な競技場を建てることではないはずです。

私は、人が暮らし、営み、集い、支え合って生きていくのに心地よいヒューマンスケールの街を守り育て続けたいと、東京・神楽坂のまちづくりに10年関わってきました。
しかし、その神楽坂も、近年、街を見下ろすように超高層ビルが建ち並んでいます。路地空間を城壁のようにビルが囲み、青空を切り取り、風の道を塞ぎ、路地に陰を落としています。でも、そのビルを宣伝するパンフレットには、立地の魅力をアピールする路地の写真が載せられ、神楽坂がすてき!と放映されるテレビ番組には、すぐ横にそびえる超高層ビルは決して映りません。
巨大な建築物の内部だけの快適性、収益性で完結し、周囲の環境への影響に心が至らないことの罪深さ。
ほんとうに大事なことは何なのか。東京を、日本を、これからの社会をどうしていきたいのか、それが試される重要なターニングポイントとなるであろう新国立競技場の問題を、専門家だけでなく広く市民も含めて考えたいと思います。

共同代表 山本玲子(全国町並み保存連盟)

新国立競技場案の形・スケールにずっと違和感を感じていました。
人々の憩の場である神宮外苑にはたしてふさわしいのかと。
公開座談会で、1940年の幻のオリンピック、1964年のオリンピックのそれぞれの時代、
建築家が悩みぬき、神宮外苑の環境と折り合いをつけてきたことを知りました。
今回は、はたしてその努力が払われてきているでしょうか?

また、過去に関わってきた保存運動と同じように、今回も粛々と手続きが進められ、
つくづく日本では市民参加のシステムが、成熟していないと感じます。
国立競技場は”みんなのもの”です。
大事に思っている人の声を聞いてください。

共同代表 清水伸子(一般社団法人グローバルコーディネーター)

64年のオリンピック開会式、抜けるような秋空に浮かぶ五輪のマークを庭先から見た記憶があります。
オリンピックという4年に1度開かれる祭典があることを知り、スポーツ競技に目を丸くしたのを覚えています。しかし大人になるにつれ、オリンピックに併せて建設された新幹線や高速道路といったインフラ建設資金の返済に1990年までかかったこと、1998年に冬季オリンピックを開催した長野市も建設費の返済が終わるのは2017年と完済に20年を要することを知りました。

新国立競技場設計コンクールの規定では1300億円であったはずの建設費が3000億円と見積もられ、その後日本スポーツ振興協会は規模を縮小し1750億円と発表しています。
それでも500億円近く超過しています。さらに今後50年利用するとして、その維持管理費や大規模補修費の合計は建設費と同等とも言われています。

欧米では私たちの税金で賄われるスタジアムや劇場といった大型公共施設建設、さらにはオリンピック開催地として立候補するかを住民が決める、「住民投票制度」があります。
このとき人々は、なぜ施設が必要なのか、どのような設備があるべきか、建設費・維持管理費を含めた資金問題、景観や環境アセスメントなどいろいろな角度から議論を行い、一人一人が考えて投票を行います。

私たちは50年後の日本に何を手渡したいのか、景観・神宮外苑という歴史的背景さらに未来への負担も含め、いま一度、立ち止まって考えることが必要ではないでしょうか?

共同代表 吉見千晶(住宅遺産トラスト)

2020年のオリンピック東京開催が決まった時、多くの日本人が嬉しい気持ちになりました。スポーツは沢山の希望や力を与えてくれるものですから、その感動を身近で共有したいという思いは誰しも同じ、東京都も日本政府、JSCも、日本を元気にしようと、何がなんでもオリンピックを東京へ持ってきたかったのでしょう。そのために目を引く何ものかが必要だったかもしれません。
しかし2度目、今の東京で開催されるオリンピックにおいて、この器は、本当に求められていることでしょうか。極めて厳しい現実に目を背けることなく真摯に検討されたものでしょうか。未来へ向けて私達が残すもの、この巨大な塊が、子供達を本当に幸せにするのだろうか、東京という都市を豊かにするだろうか、取り返しのつかないことにならないだろうかと、よく考えたいものです。そのために私達自身が考え、発言する機会を提供できたらと思い参加しています。
1964年の東京オリンピックへのノスタルジーと共に、あのときから美しい東京の川を高速道路が覆い、江戸の起点である日本橋が陰に沈んだことも忘れてはならないと思っています。